活動報告詳細

創立130周年記念特別企画
東京・近畿両会長 ビッグ対談
東京広島県人会・大竹会長、近畿広島県人会・豊松会長
県人会の有り方や郷土への熱い思いを語る
本年1月、東京広島県人会会長に就任された大竹美喜氏(アフラック創業者・最高顧問)を大阪に迎え、
広島県大阪情報センターにおいて本会の豊松会長と対談。
県人会のあり方やふるさとへの思いなどを熱く語っていただいた。
東京・大竹会長(左)と近畿・豊松会長(3月19日・広島県大阪情報センター)

東京・大竹会長(左)と近畿・豊松会長
(3月19日・広島県大阪情報センター)
東京・近畿両会長のビッグ対談

東京・近畿両会長のビッグ対談
会長就任は郷里へのご奉公
司会 今日は大変お忙しいところ両会長にご出席いただきありがとうございます。
まず大竹会長に、東京県人会の林有厚会長からバトンタッチをされたいきさつをお尋ねいたします。

大竹 昨年秋、林会長からお食事に誘われ、
急に「あなたが会長の後任だ」と言われて驚きました。
理由をお聞きしましたら、たくさんいらっしゃる副会長の中で、私が最年少だったんです。
73歳なのですがいかに高齢化しているかがわかりますね。(笑)
ただちにイエスと言えなかったのは、私はアメリカの会社にいますので、承認が必要なのです。

現在105の団体の役職に就いていますが、全て本社の承認を得ております。
県人会の会長も例外ではなく、承認に2週間以上もかかり、ずっと林会長に返事を待ってもらっていました。
最終的にお受けさせていただきました。
私は年齢的にそう若くないので、故郷への最後のご奉公のつもりでおります。

司会 豊松会長も2年前に会長に就任されていますね。

豊松 私の場合、平田前会長から強く推され、一線を引いたので社会に恩返しがしたいと考えたのと、
大竹会長と同じく故郷の為に何かご奉公がしたいと思って引き受けました。

司会 大竹会長は大変お人柄がよく岡田前々会長を彷彿とさせる、
カリスマ性を持っていらっしゃる方だと思います。
大阪の県人会からは大竹新会長をどのようにみておられますか。

豊松 経歴書や著書を読ませていただきましたが、我々とは全く経歴の違う方だと思いました。
私自身が企業マンで、一サラリーマンから経営者にまでなったが、ずっと同じ所でやってきました。
その点大竹さんは一人で切り拓いてこられ、官公庁とのやり取りには随分ご苦労なさった様です。
私も通産省など官公庁との国の規制に関するものは大変でした。
私どもは企業として取り組みましたが、大竹さんは一人でやってこられたことに大変敬服しています。

大竹 私が育ったところは、豊松会長の育った気候温暖な瀬戸内とちがい、
庄原という東北のような地域で、子どもの頃は冬になると2bも雪が積もることもありました。
ここで片道2時間、往復4時間かけて学校に通ったんです。雪が多いと道が見えなくて川に落ちて、
家に帰ったら熱が出て学校に行けなくなったりしたことはしょっちゅうでした。
今の様に道路は舗装されてなく泥道でした。こんな地域で生まれたことは自分の宿命だったんです。

小学5・6年生になると、自分の将来の生き方を真剣に悩むようになったんです。
人生のリハーサルが始まってと言ってもいいですね。
一人で生きるしかないというのが宿命だったのです。

小学校3年生の時父親に連れられて広島に行ったとき、市電や、宇品から海を見てびっくりしました。
山で育ったので始めて海を見たんです。大都会広島を見た時は強烈な印象を持ちました。
そして、人様が歩いた道を歩いても勝てないと悟りました。自分は「獣みち」を歩くしかないと思い、
一人で考え、一人で行動する、このような考えが生まれたのだと思います」。

司会 豊松会長は三原市の出身ですが、子どもの頃のお話を伺いたいと思います。

豊松 大竹さんがおっしゃったように三原は温暖なところで、
歩いて行って海で泳いだり魚を釣ったりしたものです。
その意味では大竹さんの子ども時代のような苦労はしていません。

ただ、小学校5年生の頃、空襲があるということで府中市の上下に疎開をしました。
半年間暮らし炭焼きなど始めて田舎の生活を経験しました。私は5人兄弟の末っ子だったので、
全ての事は兄がやってくれるので、ほとんど何もせずに、そのまま会社に入りましたので、
大竹会長のように一人で何かをするというようなことはほとんど経験していません。

司会 豊松会長は小学校の頃は野球をやっておられたそうですが。

豊松 ちょうど川上とか大下といったプロ野球の選手が活躍していた頃で、グローブもバットもない時代でした。
布でグローブを作ってよく遊んだものです。遊んだ話の方はたくさんありますが、
大竹会長のような苦労話はありませんでした。

大竹 貧しかったんですね。私は高校生の頃は世の中に主張しないといけないと思ったんです。
クラスメートや学校の先生との付き合いは全くなく、その頃から地元の国会議員のところに出入りしており、
政治家になってこの国を変えようという野心がどんどん芽生えてきました。
その頃のハングリーがあったから今日があると思うんです。夢や希望が持てたんです。
東京・大竹美喜会長

東京・大竹美喜会長
近畿・豊松正文会長

近畿・豊松正文会長
若い人を育てたい
司会 東京県人会は以前から若い人、特に学生さんたちが多く参加されていますし、
総会の準備などよくお手伝いをされておられますね。

大竹 準会員として大学生を受け入れているんです。大学の中に県人会を作らせたのです。
東大広島県人会とか早稲田広島県人会と言ったように、あらゆる大学の中で作らせたんです。
私がなぜこのように若者の育成に力を入れるかいいますと、
残りの人生すべて人づくりに全力投球しようと思っています。
広島県人は昔から海外に多くの人が出て成功を収めており、各地で県人会を作り結束力を強めております。

私もアメリカの広島県人会には随分お世話になりました。
中国人もユダヤ人も多くの人が海外に出てそれぞれの地域で結束力を深め、共に若者を育てているんです。
だから私は東京で広島県出身の若者を育てていく組織を作りたいと思っています。

豊松 すごい構想ですね。
大阪も大学生や若者の受け入れを積極的にやりたいと思います。
それと、幹事に若い人を登用したいのですが、現役で仕事をしている人は、
昼間の会合への参加が難しく、悩みの種となっています。

大竹 それは東京も同じことです。若い人を大いに登用したいものですね。

司会 ところで両会長に、県人会に入会された動機についてお伺いします。

大竹 私は二十代で上京した時に、どこにも相談に行く場所がなかったのです。
唯一あったのが東京広島県人会だったのです。
県人会へ行けば何でも相談に乗っていただけると思ったんですね。もう50年になります。

豊松 その頃東京広島県人会がある事をご存知だったのですか。

大竹 国会議員の秘書をやっていましたので知っていました。
そこへ行けば頼りになるのではと行ったわけですが、偉い方ばかりでした。
そんな偉い人と並んで私の名前が名簿に載ったことが嬉しかったです。

豊松 私は県人会がある事を全く知らなかったのです。
社長になった時、新聞に私の名前が紹介されたので、
それを見た県人会の幹事の方が来られ「入会してください」と言うことで入会したんです。
まだまだ県人会がある事を知らない人が沢山いらっしゃいます。
これをどうやって知らしめるかと言うことも大きな課題なんです。
東京・大竹会長(左)と近畿・豊松会長1 東京・大竹会長(左)と近畿・豊松会長1
近畿県人会は創立130周年
司会 さて、近畿広島県人会は今年創立130周年を迎えられました。
記念のイベントも計画されておられるようですが。

豊松 先人の努力によるものと、歴史の重みを感じております。

大竹 すごい歴史を刻まれており感服いたしております。

豊松 そこで6月9日に記念総会を予定しております。
総会の目玉として、安芸高田市から郷土芸能の「神楽」を呼びまして、
お馴染みの「八岐大蛇」を上演して頂きます。また来賓には県知事、
広島市長様はじめ県内の各市町長様にもお越しいただきたいと思っています。

参加者は通年200から250名位なんですが、130周年と言うことで、
現在会員数330名ですが、400名という大きな目標を立てています。

関西は高校野球が甲子園球場で行われますので、この応援も県人会の大きな行事になっています。
その他全国高校駅伝、全国高校ラグビーが関西で開催されますので、
どこの学校が出場しても郷土の代表として広島関同協と共催で応援を行っています。

大竹 これはいいことです。県人会が結束できますね。東京県人会は現在会員数は2000名です。
ところで私から提案というかお願いなんですが、
東京・大阪・名古屋・京都などの県人会の幹事さんの情報交換会の場を作っていただくと
ありがたいなと思いますがいかがでしょうか。
そしてもっともっと全国の県人会が交流できればいいですね。

豊松 それはいいですね。

大竹 ぜひ大阪が中心となってやっていただきたいと思います。

司会 最後にふる里広島への提言をお願いします。
ふるさとを観光・学問の都に
豊松 広島県は気候は温暖で自然環境にも大変恵まれておりますので、
もっともっと観光面に力を入れていただき、多くの人に広島に来てもらいたいと思います。

大竹 観光面では長期滞在型の観光を推進していただきたい。
それとボストンのような学問の都になってもらいたい。
もともと広島は高等師範から始まって教育の都だったんです。
広島は世界の中から見ても知名度は抜群なんです。
あとは学問の都として栄えたら、全国の方が広島に集まってきますし、第2のふるさとになります。
広島大学も東大の真似をしたらダメなんです。広大としての特徴を生かし、
中国地方の中心として観光プラスアルファが必要だろうと思います。

司会 豊松会長は大のカープファンとお聞きしていますが、今年のカープはいかがでしょうか。

豊松 今年も県人会でカープの応援を行います。 せめてAクラスには入って欲しいですね。
私の思い出の中にカープが勝ったら、その日のお酒が半額になった、そんな時代が懐かしいですね。

大竹 昨年はサッカーのサンフレッチェが優勝していますので、
今年のカープに期待をしたいですね。

司会 長時間にわたりありがとうございました。
東京・大竹会長(左)と近畿・豊松会長3

◆東京広島県人会 会長
大竹 美喜(おおたけ よしき)

1939年 広島県庄原市生まれ
1960年 広島農業短期大学(現県立広島大学)卒
2008年 韓国大邸韓医大学名誉保健学博士
1974年 アフラック創業・副社長
1986年 アフラック社長
1995年 アフラック会長
2003年 アフラック創業者・最高顧問
公益財団法人国際科学振興財団会長
公益財団法人がん研究振興財団会長
国立大学法人広島大学特別顧問
2013年 東京広島県人会会長


◆近畿広島県人会 会長
豊松 正文(とよまつ まさふみ)

1934年 広島県三原市生まれ
1958年 広島大学工学化学科卒業
1958年 大日本塗料鞄社
1994年 同社常務取締役
1996年 同社専務取締役
1997年 同社代表取締役社長
2004年 同社相談役
社団法人日本塗料工業会理事
社団法人日本経済団体連合会評議員
社団法人日本塗料協会会長 
2011年 近畿広島県人会会長

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